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■バルセロナの監督人事、歴史は繰り返されるのか

 1995-96シーズン、バルセロナは当時成績不振を理由に当時トップチームの監督だったヨハン・クライフを解任し、第2監督だったカルロス・レシャックが昇格した。

 レシャックは元横浜フリューゲルスの監督として日本のみなさんには馴染み深いかもしれない。もしくは今ならばリオネル・メッシの才能を見抜き、バルセロナに獲得を薦めた人物として知られているかもしれない。

 ヨハン・クライフは1992年にその攻撃的で魅力的なサッカーから「ドリームチーム」をつくり、バルセロナに初めてチャンピオンズリーグのタイトルやリーグ4連覇をもたらした、今のバルセロナの礎をつくった人物だ。クライフがバルセロナでプレーしていた時代にこの空飛ぶオランダ人の同僚だったレシャック。彼はクライフがピッチからベンチに場所を変えても同僚であり、第2監督としてこの稀代の名将を支え続けた。クライフが1991年2月、シーズン中に心臓発作で倒れた時はシーズンの残り試合を指揮し、見事チームをリーグ優勝に導いている。

 そんな強い絆で結ばれていた彼らだったが、クライフが解任され、レシャックがその後を引き継ぎ、シーズン終了までバルセロナを指揮することが決まると2人の友情はなくなった。クライフは公然とレシャックを非難し、以来2人の関係は修復されていないという。

 歴史は繰り返すのだろうか。

 それは、ジョゼップ・グアルディオラと彼の右腕であるコーチのティト・ビラノバの関係だ。4月27日にグアルディオラはサンドロ・ロセイ会長、スポーツディレクターのアンドニ・スビサレッタと会見を開き、その席でグアルディオラは退任を発表した。そして、併せて新監督も発表されたが、新監督はグアルディオラの右腕だったティト・ビラノバだった。マドリッド寄りの新聞によると、グアルディオラはティト・ビラノバが監督になるということを会見の場で初めて知ったという記事が掲載されていた。そしてグアルディオラとティトとの関係はこれを契機に悪化し、もう2人の間に友情はないと。

 果たしてこれが事実なのかどうか。

 グアルディオラはティトにアドバイスを求められればもちろん応じると語っているし、記者会見でチャビは「グアルディオラとティトの関係は素晴らしい」と語っている。  確かに、報道のようにグアルディオラはティトの監督昇格を会見まで知らなかったことは事実かもしれない。しかし、ラ・マシア(バルセロナ下部組織の寮)で青春時代をともに過ごしてきた2人が、ずっと話さなくなるなんてことは想像できない。

 クライフやレシャックのように偉大なチームをつくった2人の今後の動向に注目したい。

ジョゼップ・グアルディオラ
ドリームチームを作り上げたグアルディオラ。かつての右腕であるビラノバとの関係は!?

【プロフィール】
座間健司(ざま・けんじ)
1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。フットボールは2008-2009シーズンからビジャレアルのソシオとなり、定期的に試合観戦をしている。2012年よりフットサル、フットボールを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。

2012.05.24 00:00:00


ジョゼップ・グアルディオラ プロフィール

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