歴史的大惨敗の夜、ベロオリゾンテは老若男女で入り乱れる
まあ、気になさんなと言ったところであろう。
日本ではコートジボワール戦をはじめ、今回のワールドカップでも日本戦後には渋谷の街が若者で溢れかえったという。すっかり4年に1度の風物詩になった感もあるが、今回の日本の成績は1分け2敗のグループ最下位。決して喜べるような成績ではなかったが、渋谷駅前の交差点はいつも通りの盛り上がりだったようだ。
結果は関係なくて、ただ盛り上がりたいだけ。あんな連中はサポーターでもなんでもない。
熱心なサッカーファンからは、そんな声も叫ばれたらしい。
ごもっともである。おそらくだが、本当に彼らはただ盛り上がりたいだけで、普段はサッカーを見ていないような人々なのだろう。常日頃から、自分のサポートするクラブ、あるいは日本代表の行く末を案じている方々からすれば、とんでもない行為に映っただろう。もしかしたら、サッカーを食い物にしている、冒涜していると感じているかもしれない。
憤る気持ちは、痛いほどわかる。でも、いいんじゃない、別に。と思ってしまう自分もいる。
ところは、変わってブラジルのフォルタレーザ。準々決勝のブラジルとコロンビアの一戦が行われた地は、試合後にそれはそれは大変に盛り上がったわけで。辛勝の末、ベスト4に勝ち進んだセレソンを祝うべく、街中は人々で溢れかえり、老若男女入り乱れて飲めや歌えやの大騒ぎ。大画面が設置されている海沿いあるファンフェスタは入場規制がかかり、路上には屋台が所狭しと並び、クラブミュージックが大音量で鳴り響いている。所謂、お祭り状態。
大勢のブラジル人の中で、日本人ひとりが人ごみをかき分けて進むと、当然ながら目立つ。
「お前、どこから来たんだ」、「まあ、ビールでも飲んでおけ」。
そんな声をかけられるぐらいならまだマシだ。酔っ払いから抱きつかれ、仕舞には「キスして」というありがたくないお言葉まで頂戴する。
「その申し出、受ければいいじゃん」と思ったかもしれないが、悲しいかな、僕は女の子にはからっきしモテないが、ある一定の層には相当人気があるようだ。声を掛けてきたのは残念ながら男。しかも、結構ガタイは良かった。恐れをなして足早に立ち去ったからいいものの、とにかく盛り上がりは渋谷とは次元が違うほどだった。
勝ったから、そらそうだ。ところが、コロンビア戦の勝利からわずか4日後、同じような光景を再び見てしまう。
準決勝の大一番、ブラジルはドイツに歴史的な大惨敗を喫した。ホームで7失点という惨劇を目の当たりにして、これまで自分の中にあったブラジルへの憧れや敬意といったものは木端微塵に吹き飛び、放心状態でバスに揺られること約1時間。ミネイロン・スタジアムからベロオリゾンテの繁華街まで移動すると、ビックリする光景が目に飛び込んでくる。
すっかり元気をなくしたこちらをよそに、プライドも誇りも消し飛ぶような敗戦を喫した当のブラジル人が大いに騒いでいる。道は人ごみで埋め尽くされ、アルコールの匂いが充満している。ヤケクソなのか、何なのか。大惨敗などなかったかのような盛り上がりである。
思わず、実感した。やっぱり、ワールドカップはお祭りなのだ、と。
もちろん、痴漢はイカン。大騒ぎをいいことに不埒な行為に走る不届き者は断じて許されるべきではない。ただ、4年に1度、サッカーファンもそうでないものも巻き込んで行われる壮大なお祭りだということを考えれば、勝敗に関係なく盛り上がることにそこまで目くじらを立てなくてもいいのではないかと思ってしまう。ワールドカップのときだけサッカーを見るという人々は、日本にもブラジルにも、それこそ世界各国にいるはずである。
今の隆盛からは考えられないが、日本でのサッカーはマイナー中のマイナースポーツだった時期の方が遙かに長い。本大会出場はおろか、プロリーグさえなかった日本では、世界が熱狂していたワールドカップはまさしく他人事だった。
わずか20数年前のことを思えば、今回の渋谷の盛り上がりはかえって日本にワールドカップの楽しみが定着したと喜ぶべき状況なのかもしれない。ワールドカップは言うまでも、サッカーファンにとってもお祭りである。渋谷の様子をみて、「これだから日本は」とか、「ヤツらは騒ぎたいだけだ」と憤るよりも、地球規模の祭典にようやく日本も仲間入りを果たせたという感慨にふけっているほうが、よっぽど祭典の雰囲気に合っている。
ベロオリゾンテでも人ごみをかき分けながら、そんなことを考えていると、またブラジル人につかまった。今度は、中年のオッチャンだ。
「どっから来たのか」
「おお、日本人か。ブラジルを、ベロオリゾンテを楽しんでいけよ」
ありがとう、オッチャン。さっきまでの惨劇が嘘のような満面な笑顔だったよ。
【プロフィール】
小谷紘友(おたに・こうすけ)
1987年、千葉県生まれ。学生時代から筆を執り、この1年間は日本代表の密着取材を続けてきた。尊敬する人物は、アルゼンチンのユースホステルで偶然出会ったカメラマンの六川則夫氏。
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